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私は老夫婦というか老人フェチで、だから小津安二郎の『東京物語』に出てくる笠智衆なんかたまらないのですが、そのいちばん原点が何かと考えたときに『赤毛のアン』のマシューなんじゃないかという考えに至りました。
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↑ これはたぶんいちばん最初に読んだ子供用の版。 マシューの重要な要素として、まず優しいということ(男の子の養子を希望していたのですが、間違ってやってきたアンを受け入れることにします)、しつけ等からは手を引いていること(アンのしつけは主にマシューの妹であるマリラが受け持ちます)、不器用なこと(アンのためにドレスを仕立ててあげようとするのですが、仕立て屋の前でしばらく途方に暮れてしまいます)、いわゆる「現役」な感じではないこと(六十台です)、それから働き者なこと。 色んな善性を結晶化したような存在としてマシューを見ていたように思うのですが、今日思ったのは、マシューの亡くなり方も重要だったのではないかと。 心臓発作で死んでしまうのです。それも、自分が預金していた銀行が倒産したということを知って、ショックで。アンとマリラが見たときにはマシューは既に土気色の顔をしていて、全く成すすべなくそのまま亡くなってしまいます。私が『赤毛のアン』をはじめて読んだのは小学生のときでしたが、この死に方にはちょっとびっくりしたように思います。あれだけ良い人で、良いことばっかりしてきたマシューが、最後に銀行倒産+心臓発作だなんて報われなさすぎる・・・と。マリラやアンと言葉を交わすことさえできなかったのです。 やはりそう思う人がいたのか、実写版で映画化されたときにはマシューの死に方は変わっていました。アンといっしょに家畜か何かを追っていて、倒れるのです。そしてアンに抱きかかえられながら息を引き取るのですが、その際「お前を引き取ったことを今はすごく誇りに思う」みたいな言葉をアンに残して、アンにそれが伝わったこともわかった上で、亡くなるのです。かなりソフト。 しかし、原作の不条理な死に方があったからこそ、「報われない善性」としてその優しさや不器用さがさらに美しいものに思えたのかもしれません |
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